1941年(昭和16)4月29日、戦時中の天皇誕生日、提灯行列の最中4人目にして、ようやく柏原家の長男伸一誕生。当時、日立造船工員と
餅屋さんを兼業していた父親は、同年、柏原餅商店を本業とし開業。
1960年(昭和16年)伸一は関西の叔父に弟子入り修業。その後、因島に帰り和菓子を取り入れたお餅を作り始める
1965年、結婚を機に2代目を継ぎ
「もち菓子のかしはら」と店名を変え
夫婦力を合わ新しいお餅づくりを始める。
1989年、因島大橋が完成され海と島の博覧会が開催、「花とフルーツの島」というキャッチフレーズで作られた、因島フラワーセンター会場には、たくさんのお客様が押し寄せ、みかん餅の実演やフルーツ大福の販売が大好評を受け、数か月間製造が間に合わず、その後、島は2006年しまなみ海道全通まで賑わう。
当時、因島農協のはっさくゼリー、酒造会社はっさくワイン等八朔関連の商品が沢山開発されていました。かしはらが、試作販売を続けていた「はっさく大福」も、反響が大きく本格販売を始めました。
2000年9月、はっさく大福の、うわさを聞いてソムリエ 田崎真也、脚本家 内館牧子両氏が来店される。
「あんこの甘味とはっさくの酸味と苦味のバランスがいいなぁ」
「此処だけでは勿体ない、全国に通用する可能性を秘めている」
両氏のお墨付きとアドバイスを頂き広島市への移転を夢みる。
2000年7月 FUN#89、番組中、故郷因島出身の東ちづるポルノグラフィティ(3人)により八朔大福(かしはら)、八朔ゼリー(農協)八朔ワイン(浜岡酒造)が紹介される。
2003年、かしはらが創業以来作り続けるみかん餅(カキ餅、丸餅、あん餅)
第24回全国菓子大博覧会に出品「農林水産大臣栄誉賞」を受賞
2004年、苦労を共にした妻を突然失い、ショックを受け、うつ状態となり、二人の思い出多き店を即日閉店。
全国から沢山のお客様が絶えず、改めて大福の人気の程を知らされる。
2005年、八朔倶楽部の会員仲間と同町内に空き店舗を探し旧店舗の機械設備を移設
私財を投じ八朔倶楽部作業所、「はっさく屋」を創業。
県内各地のイベントに参加しながら会員と共に、毎日楽しい5年間を過ごす。
開店1ヶ月後の6月には「元祖お取り寄せ達人福田ふく」さんが、お取り寄せ手帳(2001年発刊)の
続刊の取材で来店。翌7月に発刊される等、運も重なりテレビ・雑誌・有名人の来店が相次ぎ
「はっさく大福」は因島を代表する有名スイーツとなる。
現在の「はっさく屋」跡地には、弟子松浦が餅菓子店「まつうら」を開業中です。
全国へ広めたい想いが強く。広島への夢が捨てきれず、再婚した妻の連れ娘の婿(料理人)柏原龍一が広島市での開業に同意。3年間修業後、
2013年広島市内へ移転、龍一が3代目を継ぎ、地元の皆様のご協力もあり、徐々に業績を伸ばす。
2016年「Japan Sweets Award 2016 広島県 第一位」となる。
2016年4月、生業から事業化へ法人化、現在の「株式会社かしはら」に至る。